「ひめゆり平和祈念資料館」に行ってきました(沖縄)

沖縄戦で従軍看護婦として犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の遺骨を祀った慰霊塔「ひめゆりの塔」。

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その「ひめゆりの塔」と同じ敷地内にある「ひめゆり平和祈念資料館」に行って、平和の尊さを学んできました。

「ひめゆり平和祈念資料館」とは

ひめゆり平和祈念資料館は、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の女学校生徒222人による「ひめゆり部隊」が看護活動を行っていた最後の場所「旧陸軍第3外科壕」の跡地に建っているそうです。

第二次世界大戦終期の1945年3月23日深夜、那覇市の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に「ひめゆり部隊」が配属されました。

ひめゆり部隊は勤労奉仕という形で看護、死体埋葬などの作業を手伝っていたそうですが、同年4月1日にアメリカ軍が沖縄本島に上陸。米軍が迫る中、5月下旬に学徒たちは日本軍とともに陸軍病院を出て、本島南端部に向かいます。

移動先の安静もつかの間、激しい砲爆撃の続く中で迎えた6月18日。学徒たちは戦場のまっただ中で「解散命令」を受け、その場に放置されます。

突然の「解散命令」を受けた彼女たちは米軍が包囲する戦場を逃げ惑い、ある者は砲弾で、ある者はガス弾で、そしてある者は自らの手榴弾で命を失っていったそうです。

この事実を後世に伝え、 平和であることの大切さを訴え続けるために作られた資料館が「ひめゆり平和祈念資料館」だそうです。

【公式】ひめゆり平和祈念資料館 / [OFFICIAL] HIMEYURI PEACE MUSEUM / 姬百合和平祈念資料館網頁(繁體中文) / 姬百合和平祈念资料馆网页 (簡体中文)

「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れて

これまでも映像や文章で「戦争の悲惨さ」に触れる機会はありましたが、「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れる事で、いままで以上に平和の尊さを感じる事ができました。

「死亡者は生徒123名、職員13名」と言う一文でも悲惨さは十分に表しているでしょうが、「ひめゆり平和祈念資料館」で生徒達一人一人の顔写真と死亡理由を読む事で「個々人の死」を強く意識させられました。

これからも戦争の残酷さを勉強し続け、不戦の誓いを守る日本人でありたいと思います。

ひめゆりの塔 – Wikipedia